本文へスキップ

日本の再生は、住民自治・年輪型成長で自然と人間を優先

kirino@lime.ocn.ne.jp089-931-7415

   

健康の話access

健康の話                古木 秀策


珊瑚会の戦友で五十才前後の人が二人卒中で病臥しておられます。健康の保持増進に少しでも役に立つ様にと願って此のプリントをお送りします



  私が整体指導を業として居る関係で、これ迄度々寒川さん、加藤さんから健康について何か書いてくれと言う御註文があったのですが、物を書くのが面倒でつい失礼して居りました。

 今日筆をとる気になりましたのは、最近私の友人が脳溢血で倒れた事からです。従来新聞の著名人の死亡報道によって、五十才前後の働き盛りで倒れる人が少なくないのをみて残念な事と思っていましたが、今度の身近な友人の倒れたのは私にとっては小くないショックでした。

 手を拱いて、か様な不幸を見ていては相すまない事だという気持ちに駆られて、重い筆をとり上げた次第です。

 健康問題は人間最大の関心事ですから、之についての論議や養生法が多岐に亘る事は当然と思います。

 それ故今日世間一般に通用している説は医学書や新聞、雑誌等によって頂く事として、ここでは中年以上の人の最も関心を引く点について、これ迄の説と多少趣の異なった事を述べて有縁の方々の参考に供したいと思います。

 此の内容は私の属する整体協会の指導理念とこれに基く私の体験によるものである事を最初にお断りして、専門的な固苦しい事はなるべく避けてボツボツ雑談的に述べることに致しましょう。

 <脳溢皿や脳軟化症の原因について>

 脳の血管が破れたり詰ったりして急に死んだり半身不随になったりしますが、此の原因について考えてみましよう。

 ローマは一日にして成らずと申しますが、脳溢血も亦同様であって発作を起して三十分後に死んだとしても、そうなる様に準備し、そうなる様に条件を整えるには実に長い年月を要するのが普通です。一体血管が破れたり詰ったりするのは一口に申せば血管の老化が根本原因です。

 これをゴム管或は車のタイヤに例えてみましょう。新しい丈夫な管やタイヤは弾力性が強いので相当の圧力にも堪えるが、弾力性がなくなると・・・・つまり硬くなり脆くなると、ほんの少しの圧力が加わっても破れてしまいます。また管の内側にいろんな滓が溜ったりすると、水を通す場合にも極く小さな塊でも詰ってしまいます。

 血管が常に若々しく弾力性に富むならば、脳溢血になろうとしてもなれるものではありません。梅毒等の為に二十代で動脈が硬化する事もありますが、これは勿論例外です。青少年時代に脳溢血等にならぬのは此の為です。それではどんな状態なら血管を若くして弾力性を保てるでしょうか。

 第一に体の働きが敏感である事です。

 世間にはよく肩幅広く胸厚く威風堂々として血色もよくカゼも引かぬ、お腹をこわした事もなく自他共に頑健と認めていた人が急に脳溢血で倒れる事があります。これはホントの意味で丈夫なのではなく、体の感受性が鈍ってしまって異状を感じ得ない状態であったのです。

 死人はいくら突いても斬っても何も感じません。腕がすっかり腐ってしまったライ病患者の指を切り落しても痛みを感じません。けれども健康な皮膚の一部を針の尖で一寸突き剌しても痛みを覚えます。

 つまり、痛みを感ずるのは正常な痛覚があるからで、これは体が健全な働きを保っている証拠です。脳溢血の発作が起るまでの長い年月体が悪くなって行くのを気付かない鈍った状態が続いていた訳です。

 身体が疲れていても疲れを感じ得ない状態、栄養過剰で肝臓も腎臓も疲れ果てて栄養物質の不完全燃焼の残滓が充満しているのに、まだ飲食物を拒否し得ない様な胃腸の鈍った状態、体にアンバランスの状態が生じてカゼさえ引けばバランスを回復し得るのにカゼも引けない状態等がそれです。

 整体協会ではこういう状態を「無病病」と呼びます。病気のない病気、病気になれない病気と言う意味です。

 仮りに松山が敵機に空襲されて家々がすっかり焼き払われてから始めて気が付く場合と、敵機が松山空襲の企図を持って基地を飛び立つ瞬間に此方が気付いて、飛行機、高射砲等で迎撃の態勢を完整するか、或は此等の装備が乏しくて応戦出来ないならば、人員や大切な食糧その他の物を分散疎開する場合とを比べてみれば、何方がよいかは申す迄もないでしょう。

 人間の体はなかなかよく出来ていますが、異状を感じ得ない程鈍った状態では回復の働きのないのもまた已むを得ません。頒健を誇る前に自分の体が鈍っているのではないかを反省する必要がありましょう。

 第ニに体全体の弾力性を保つ事です。

 これは第一に挙げた「敏感さを保つ事」を他の面からみたものとも言えます。大ザッパにみますと、体の働きのよしあしは割合に外面からよくわかる様に出来ています。

 子供は体がしなやかで動作も軽快ですが、中味や目に見えぬ生きる働き・・・生命力とも言うべきものも、個々の臓器もそれに釣合がとれて極めて弾力性に富んでいます。

 老人の体はどこも硬く動作もゴツゴツしていますが、中味の生命力も個々の臓器も又それにふさわしく硬ばり脆くなってております。老人が頑固なのも体が生理的に頑固になっているからです。

 此の体の内面及び外面の状態に密接な相関関係があるという事は健康度を計る上に極めて重要な意味をもっています。或る人の健康度、実質的な若さ老いの程度は戸籍謄本の上の年齢とは必ずしも一致しません。

 七十才を過ぎてお嫁さんを貰う人もあれば、四十才足らずで体が老化して灰色の人生を送っている人も稀ではありません。

 どんなに血色や肉付がよく、常々たるタイプをしていてもその人の足音が、一枚の板で、板の間を叩く様なバタンバタンという音でしたら、動脈は相当硬化しているとみてよいでしょう。

 足は二十六ヶの骨が集まって夫々関節を成して骨格を形成しています。立つにも坐るにも歩くにも関節の一つ一つがバネとクッションの働きをしてショックが生(ナマ)のまま上部に伝わらぬ様に出来ています。これが若さがなくなりますと、足の形のまま一枚の板の様に固まってバタンバタンという音をたてる様になります。

 私が戦犯として巣鴨刑務所に居りました頃、斉藤さんという愛媛県出身の博士の軍医さんが居られました。戦前大阪で開業され名医として有名な方でした。実に堂々たる体格をして血色もよく、而も食欲旺盛な方でしたが、歩かれる足音は正に前に記した通りで足音だけで「あ斉藤さんだ」と直にわかる程でした。私は出所して間もなく斉藤さんが脳溢血で亡くなられたと聞きましたが、確か五十五才前後だったと記憶しています。

 一つの実例を挙げたに過ぎませんが、真に健康を欲する人にとっては、健康度、若さの実質はその体の弾力性に最もよく現われるのを知っておく事は少なからず役立つものと思います。

 坐るにも立つにも物をとるにもこの体の弾力性がよく現われます。「どっこいしょ」と立ったり坐ったりする体、体を重いと感ずる体では、勿論弾力性が乏しい訳です。転ぶ等というのは相当硬ばっているのです。

 世間でよく快通(快よく便通がある)快眠(快よく眠れる)快食(快よく食べられる)が健康の条件、或はバロメーターとしてとり上げられています。私はこれに「快動」という一条件を加えたいと思います。体を動かすのが憶怯でなく軽快に出来、動かすことに快感を感ずるという意味です。

 此の「快動」は前記の三条件から当然生れてくるのではありますが、一応これをとり上げて一つの条件とした方が、健康度、若さをはかるに都合がよいと考えるのは前述の理由からです。以下具体的な問題に入りたいと思います。

 <呼吸と脈搏について>

 健康状態がよい場合、つまり体に弾力性が充実している場合には、自然に深いイキが下腹までラクラクと入ります。ミゾオチでイキをしているのは余りよくはありません。肩でイキをする様になったら相当悪く、鼻孔や口でハアハアやる様になれば危険です。

 呼吸と脈搏の数の比は一対四がノーマルな状態です。年齢によって多少変りますが五〇才なら呼吸が十七か十八、脈溥は七十前後が標準です。熱が一度上がれば脈が五つ上るのが普通です。

 熱が四十度あっても熱、脈搏、呼吸の数の比がバランスがとれていれば心配はいりませんが、熱が高いのに脈傅、呼吸の数がふえていないならば警戒を要する状態です。ともかく体のどこにも苦痛がなくとも脈搏と呼吸の数の比が四対一から遠ざかる程危険です。

 四十度を越す熱が忽ち下って元気になる事もあり、一見どこも悪そうに見えぬ人が一寸したカゼの様な状態で急に死ぬ事があるのはその為です。

<体の弾力性について>

(イ)立ったり坐ったり腕や脚を曲げたり押したりする一切の動作が、スムースに軽快に出来るか否かが弾力性の度合をみるバロメーターである事は前に述べました。一寸注意すればつまらぬ動作にも体全体の弾力性が生々しく現れていることが分る筈です。

 正坐してお辞儀をするのに丁寧に頭を下げるとお尻が上ってしまう人があります。又便所でしゃがむのに踵をつけたままではしゃがめずに、何かにつかまらないと安定しない人があります。此等の人は腰が硬いのです。

 人間が生きる為に大切な肝臓、腎臓、胃腸等には腰から神経が出ていますが、腰が硬いという事は此等の臓器の働きがうまくゆかぬ事を意味し、それは直ちに老化現象に連っているのです。

(ロ)仰向に寝て腕と脚を押した時ラクに真直に押す事が出来ずに肘や膝が床につかない、又腕を押したまま耳に近く寄せることが出来ない人があります。その程度のひどい程弾力性が乏しいのです。腕が硬ばって上へも伸びず背中へもよく廻らない人は胸堆から出ている肋骨の動きがよくありません。

 胸廓は伸縮自在な籠の様に出来ていて、中に心臓と肺臓をおさめているのですから、籠が伸縮出来なくなれば中味の心臓、肺臓も伸縮困難になるのは当然です。

(ハ)正坐した人の肩に手をあてて上からおし下げる様に力を加えると、弾力性のある人は抵抗し乍ら縮まりますが、手の力を急に抜きますとバネの様に勢いよくはね返ります。弾力性のない人はちっとも縮まず、或は非常に僅かしか縮まず、はね返る事も殆んどありません。

(ニ)手首、足首をグルグル廻した場合、弾力性のない人は動きが悪いのです。手首はふだん割合によく動かすのでそれ程ではありませんが、足首の固い人は相当沢山あります。こういう人はやはり腰が硬いのです。

<だるさの感じ方について>

 体を使って疲れるのは当然です。従ってみっちり働いた夕方、疲れを覚えるのは異状ではありません。一晩寝て朝起きた時疲れがすっかり抜けてサッパリしていれば、それは弾力性のある体であり、健康な状態です。

 ところが前の晩よりも朝起きた時の方がうんと体がだるい、そしてだるいのを我慢して暫くするとだるさがとれるという人が中年以後の人に随分沢山あります。

 朝起きて体がだるいのは一日働いて疲れた体が一晩ねて体を休めた為に体が弛んで来て神経の働きが復活して生々と敏感に働き始めたので、実在する疲れを疲れとして感じ出した事を意味します。

 実質的に疲れが抜け切らずに残っておる事、そして鈍り或はマヒ状態の神経がそれを疲れとしてはっきり感じ得る程度に疲れが回復した事を意味します。ところが床から起き上がってゴソゴソ体を動かし始めると忽ち神経の疲れが昂じてその働きが更に鈍りマヒしてくるので疲れを感じなくなるのです。

 こういう人は毎日疲労を利息をつけて繰越勘定にして貯め込んでいる人で、著実に体の弾力性を失い鈍らせて行きつつあるのです。

<カゼとお腹の具合>

 癌とか脳溢血とかになる人を丁寧に観察すると、或時期以後は急にカゼを引かなくなって来る人が多いと聞いています。脳溢血については私の乏しい体験からもそう思います。

 長生する人は急に気温が下ったりすると直に鼻水が出るという人に多い。鼻水等が直ぐ出るというのは体が敏感に外界からの刺戟に反応するからであり、カゼを引かないのは体が鈍ってしまって異状と感じ得ないからです。

 血管の弾力性がなくなる、つまり硬張ってきた場合でも、カゼを引けば一応血管は弾力性を回復して柔くなり従って血圧も下ります。そこでカゼを手軽に引ける体ならば急に倒れる心配は先ずないと考えてよい訳です。

 ところがカゼが健康の敵であると考える人々があって、カゼを引かなくなる様にと冷水摩擦をしたり亀の子タワシで体をこすって皮膚の機能を台なしにしていますがおかしな事です。

 さてカゼを引かぬという問題について今少し考えてみましよう。カゼを引かぬという人々を大別すると二通りになります。

 カゼには体の部分的な偏より疲労・・・例えば頭の使い過ぎ、消化器の使い過ぎ、腎臓の働き過ぎ、体の重心のあり方による局部の過重負担等を原因とする・・・を調整するという意味があります。

 カゼを引かない人達の中には、カゼを引きさえすれば偏より疲労を調整出来るのに、体が鈍ってしまってカゼを引く事の出来ぬ体があります。これは突然脳溢血になる虞の多い組です。

 今一つの組はカゼを引くのだが余りに短時間で症状も軽いので自分でもカゼを引いたと思わない組です。「クシャミをよくするがカゼを引いた事はない。」という人違がそれです。

 クシャミをする前一日か半日か四時間か二時間かカゼを引いていたのです。即ちクシャミをする様な人はカゼを引かぬ仲間に入りません。カゼについてはまた述べたい事もありますが、話の本筋から外れますのでこれ位に止めましょう。             
 胃腸の働きと体の弾力性の関係についても一寸触れておきましよう。胃腸の主任務は消化吸収であり、副任務は排泄です。体内に有害なものが入ったという様な緊急の場合には最も有力な排泄のルートになります。

 他人に毒を盛られた場合、腐敗したものを飲食した場合等には吐いてしまえば何より安全です。若し胃が十分に此の働きをなし得ない場合に、腸がサッと下痢してくれれば大事に至らずにすみます。

 此の際注意したいのは、はっきりした毒や悪いものでなくても、その時その体が必要とする以上の栄養をとり過ぎた場合には、それは体にとって有害な働きをとするという事です。慢性病で断食が最もよくきくのは此の場合です。いくら食べても食べられるという胃はよいのではなくて鈍っているのです。

 斗酒尚辞せずに飲める体は感心出来ません。早く酔って早く醒める方が敏感なよい体です。体内に栄養が満ちて来たら、食欲がなくなるとか胃が痛くなるのが敏感な弾力性のある体です。

 ここで誤解のない様にして頂きたいのは、カゼさえ引けば、吐いたり下痢したりさえしていれば健康だと申しているのではありません。勿論カゼの中にも下痢や嘔吐の中にも不健康なものがあります。

 唯カゼを引いたりお腹をこわしたりする中にも体がそれ自体を守り又疲れたり歪んだりした状態から、新しく立ち直るという建設的な意味をもつ場合があり、それが弾力性の保持回復に役立つのだという事を申したのです。

 全然カゼを引かず、いくら飲食しても全然お腹をこわさぬ人があったら、それは正しく体の鈍った弾力性のない人だとみて差支えありません。此の意味に於て、カゼを引いたりお腹をこわしたりする事が時にはあるか否かを知る事も弾力性を測る一つの角(尺)度である事をわかって頂けると思います。

 以上述べた事を一通り読まれた方は、太っているとか痩せているとか中肉であるとかいう事は健康の度合を測る物指として必ずしも適当でない事に気付かれましょう。一応前述の諸点について自分の又は他人の体の弾力性即ち健康の度合を計ってみれば、当らずと雖も遠からざる判断をなし得ると思います。

 以下大ざっばに体の弾力性を保持回復する方法について述べてみます。

  1.体全体特に腰の弾力を保持回復する方法

「やり方」
 仰臥して両脚を内踝が腰骨の外側にくるように開きます。両腕を上に真直に伸します。手の中指の方向に力を入れて伸すと同時に、足の趾尖を上へ出来る丈反らせて踵の方向に伸します。此の際背中腕脚の裏側を伸ばします。

 こうしてイキを吸い乍ら伸して行き、イキを吸いきったとたんに体の力を急に抜きます。自然イキは吐き切ります。体を伸す時は両踵と両肩の部分が体を支える支点になりますが、腰は無理に上げずに自然に任せます。

 言い変えれば手の中指の方向と踵の方向に腰を両方から引っぱる事になります。之には相当骨が折れますので、力を抜いた瞬間は人間の形をした物体みたいにバタンと床に落ちてグンナリするのが普通です。

 落ちたらそのまま五つ六つ大きい呼吸が腹に入って来て、呼吸が普通にもどるまでそうしています。コツをもう一度まとめて申せば

イ、イキを吸い乍らノビをしてイキを吸い切ったとたんにイキを一気に吐き、 同時に力を抜くこと
ロ、力を抜く事を最も急速にする事。即ち緊張と弛緩とのスイッチの切換を出  来る丈早くする事
ハ、落ちたらのびたままで五、六呼吸の間じっとしている。

「意味」
 人間の先祖は地球の上に二本脚で立上り、頭と手をうんと発達させ、之をうまく使って他の動物を征服して今日の文明を築きました。だが、そのシワ寄せが腰に行っているのです。

 仮りに一人の成人の腰にのっている上体の目方を六貫目(1貫は3.75キロ)として、日常その人の腰がどれ程の重量を負担しているかを時間と関連させて考えてみましょう。

 l秒間に6貫として
1分間に6×6貫秒 1時間に6×60×60貫秒
 1日に17時間起きているとして 6×60×60×17貫秒
 1年間に 6×60×60×17×365貫秒=134,028,000貫秒

一年間では一億三千四百貫秒余という事になります。之が何十年も続くのです。

 こんな数字を挙げましたのは、腰が負担せねばならぬ重量が莫大なものであることを知って頂きたいためで、他意はありません。此の数字が生理学者から甚だ根拠のアヤフヤな滑稽極る屁理屈と笑われても、此の事が人間の腰が日常如何にひどい負担を強いられているか、又それが健康全体にどの様に影響しているのかという問題の重要性に関する論義の緒となれば私は満足です。

 厄介な数字を暫く描いてもっと具体的な問題で考えてみましょうか。六貫目の庭石でも漬物石でも10分間かかえている事は大変なことだという事は誰でも直に納得できます。

 それなのに大抵の人は激しい運動や仕事をしたあとでも、せいぜい腰を下して、或は椅子に腰かけて茶菓をとるとか軽い音楽を聞くとか新聞やテレビをみるとかして休養をとった心算になって、自分の腰が長時間六貫目の重量に耐えて、而も仕事や運動が更に腰の負担を大きくしている事には一向無頓着なのです。

 そういう休養のし方は頭の中で休養していると考える丈で、一番疲れている部分特に腰にとってはちっとも休養になっていないのです。腰は疲れたままで依然として六貫目の重量をもつ上体の重圧に耐えているのです。

 腰にはロはありませんから不平は申しません。けれども、誰でも疲れ切った時には横になりたくなるのは、腰の休養に対する切実な要求によるものと知るべきでしょう。

 特別激しい労働や運動をしない人でも中年になると腰が萎縮してきて故障を生じ易くなり、それを感じない場合でも脚や下体内の重要な臓器・・・此等の臓器には腰から神経が出ていますので衰えを来すのは此の為です。それが二本足で直立する人間が他の動物に比べて、より天寿を完うし難い重大な一つの理由です。

 企図心も実行力も若さから流れ出るエネルギーであり、その源は腰の野生的な力です。老人が頑固なのは腰が固くなって動きがとれないからで、生理的に生ずる自然現象と言うべきでしょう。

 人間が人間のもつ構造上の長所を発揮するとともに、その短所を補うことが出来れば、人間の健康はもっとよい状態になるに違いありません。

 仰臥して身体をウンと伸す比の方法は、此の考え方から出発して、腰にかかる負担を零に近く持って行って、腰の萎縮を回復することを目指しています。これに伴って呼吸について注文するのは、人間の関節の状態が変わるのは呼吸と呼吸の間隙の瞬間丈に限られているからです。

 私は仕事なり運動なり一段落つく毎に、若し段落がつき難いなら二時間に一回位、此の体を伸す事をやって、その後に世間普通の休息に入られる事を皆様におすすめします。

 「注意」             
イ、布団の上は避けて畳又は板の上で行うこと。
ロ、やって直に入浴しないこと。
ハ、一日に何回やってもよいが、同時に続けて二回以上やらぬこと。
ニ、就寝直前には必ずやること。

 2.足首手首の関節の弾力を保持回復する方法

「説明」
 志那(しな)の或地方では金と暇のあり余る大人は、西瓜の種を始終指でいじる事を長寿の法としていると聞いています。又松山地方にクルミの実を始終いじっていると中風の予防になるという言い伝えがあります。

 是は西瓜の種類やクルミこの実に、特別の御利益があるのではなくて、こうするとると手の指が動き従って手首の関節が動く事になる。それが他の関節にも影響して体全体に好果をもたらすものと解釈すべきでしょう。

 私は人様に手首を動かすことはあまりすすめませんが、足首をよく廻すことをすすめています。それは相当の重病人でも手首は割合によく動かすが、病人でない人でも足首はなかなか廻さないからです。

 それ故ここでは足首丈についてお話しましよう。足首は前後屈丈でなく或程度楕円形に回転する様に関節が出来ています。自然の摂理によって与えられている運動範囲を運動できないという事は体がよくない事を意味します。

 右足首が太く開いている為に胃の働きが悪かったり、外くるぶしが下に下って動きが悪いと脳溢血が近かったりすることもあります。又足首は膝関節、股関節を通して腰椎とも密接な関係があります。

「やりかた」
 仰臥して脚の裏側を伸します。足尖を出来る丈反らせてボッと力を抜く事を10回やります。次に足首から上は固定する様にして、之を軸にして足首から先丈を内側へ大きく廻し、終りは足尖を最初のようにウンと反らせます。

 之を10回。次に足首から尖丈を外側から内側へ大きく廻して終りは前同様に足をウンと反らせます。之を10回以上。合計30回。

 精一杯やりますと大腿部附近の筋肉が痛くなりますので、最初は三回位宛からやって順次回数を増す方がよいでしょう。之ををやる時に腰椎の凹んだ部分の真中の骨に手の指尖をあててみて下さい。微かに腰の骨が動く筈です。之が動かぬ様では相当足首が固いのです。

「意味の補足」
 体全体の調整上足首の弾力性をもつことは是非とも必要です。又腰の硬化萎縮を解いて若返るにも役立ちます。

「別の方法」
 あぐらをかいて片手で足首をもち、反対側の手で足をつかんでぐるぐる廻すのも宜しいです。此の際足首を引き扱く様にして廻すことが必要です。おし込める様にしてやりますとよくありません。

 3.体内の不純なもの不必要なものを排泄し易くすること

「意味とやり方」
 手の示指間に水カキの様な部分がありますが、ここが厚く硬いのは体内にいらないもの、あっては害になるもの、つまり疲労素・毒素・大便等がっまっている事を示します。

 ここを他の手の栂指と示指で釘抜のように挟んで一度奥へおしつけてそのままスッと引き、おさえた指の力を抜く事なく数回繰り返します。之は排泄の働きを手伝うのに役立ちます。面疔とか瘍とかいうオデキによくききます。厳密に言うと、比較的単純な営養過剰、心肜、頭の血行の三通りの場所があります。

 4.頭の血行調整を手伝うこと

「やり方と意味」
 腕をよく使う人は腕の疲れをそのままにしておきますと、脳の血行に悪影響を及ぼします。肩の直下、上の腕の外側筋肉-三角筋-を反対側の手でつまんで柔くする丈でも効果があります。頭をよく使う人の頭の血行異状も此のやり方で調整を手伝う事が出来ます。

  結  論

 これまで説明しました幾つかのやり方は文字で書きますと大変難しそうですが、実際の動作としてやってみれば簡単な事です。

 私のところへ来られる皆様には之を実演してお目にかけて、皆様が続けてやられる様にすすめております。私の注文通りやられる方は数ヶ月以内に目に見えて効果を挙げて居られ、中には家族の方も脳溢血が近かろうと認めておいでの七十才位の方で随分若返られた方もあります。

 けれども残念な事には大部分の人は治ったと思うととすっかり止めてしまわれます。みっちり統ける方は二十人に一人位でしょうか。

 仰向になって体を伸す方法は中年以後の人だけでなく、若い中からやれば、長く若さを保つ事が出来ます。一日立ち通しの百貨店や工場等で午前午後各一回とお昼に之をやる様に指導されたら従業員の健康状熊はうんとよくなり、仕事の能率は非常にあがることでしょう。

 子供の中から家庭の躾としてやるならば、発育がよくなり国民の体位向上に貢献するものと思います。中年以後の現代人の著しい傾向の一つとして、自分の健康に対する信頼感の喪失を挙げる事が出来ると思います。

 何かに頼り何かに支えられ、何かを絶えず補って居らぬと生きて行けない様に考えている人が少くありません。此の「健康の話」が皆様自身の力で健康をよりよい方向に導いていけるという自信を得られるのに少しでも役立てば幸と存じま



 

店舗外観

健康

 

健康